バカに進化した人類

脳神経外科医からリハビリテーション科医に転科して脳研究者を目指す医者のブログです。

LINEは本当に悪かったのか

 今朝起きてテレビをつけたらNHKの「ニュース深読み」という番組で、川崎市の中学一年生が殺害された事件におけるLINEの影響について議論していました。途中から見たうえ、朝食を食べたり、出かける支度をしながら見ていたので詳細はよくわかりませんが、内容としては気になるものであったので少し考えてみたい。

 

 ニュースでこの事件が報じられるたびに必ず言及されるのがLINEの存在です。ほとんどの人がそうだと思いますが、今回の事件においてLINEが原因の一つというわけではないだろうというのが僕の実感です。LINEについて言及されるときに毎回使われる表現は、「大人の目の届かないところでのコミュニケーション」という言葉ですが、大人が知らないところで少年少女がコミュニケーションをとっているのは今に始まったことではありません。

 やや申し訳ないと思いつつもはっきり言わせてもらえば、これらのLINEに関する議論から出てくる結論は、大人の責任回避に役立つことと親の過干渉を正当化すること以外には大した効果はなさそうです。

 

「犠牲になった少年の名前」と「LINE」の二つのキーワードでググったときの最初の記事は、

川崎中1殺害:LINE大人の死角 上村さんSOS届かず - 毎日新聞であったので見てみると、LINEに固有の問題は特にないように思えます。犠牲になった少年が所属していた少年グループ内での暴行などはLINEなどなくても行われていたでしょう。

 それどころか、下記の文章によれば面と向かっては相談しづらいことでもLINEでならできるといったニュアンスすら感じられます。

 

親しい友人には打ち明けていたが、SOSはラインの中にとどまった

 

 LINEの中にとどまった、というのは裏を返せばLINEでなら打ち明けることができたということです。ニュース番組やこの記事を見ているかぎり、どうしてLINEが原因の一つとして浮上してきたのかすらよくわかりません。それは措いておくとして、最も気になる言葉は、下記のものです。

 

こうしたラインを取り巻く世界に、大人の目は届いていない。

 

ただ、思春期の子どもは元々、問題を抱えても大人には相談したがらない。大事なのは大人がラインの世界でのことを相談してもらえる環境を日ごろから整えることだ。

 

 

 大人の目の届かないところで行われるコミュニケーションが悪い、大人が知らなかったことが悪い、という発想は裏を返せば、「知らないところで行われていたから仕方ない」という責任回避にも受け取れます。

 さらにここから、管理を厳しくすれば犯罪を防げると考えれば、親の子供に対する過干渉を正当化してしまうでしょう。僕には子供がいないので想像になってしまいますが、親は常に子供に対して過干渉になってしまう誘惑にかられているのではないでしょうか。それは歪んだ愛情ゆえかもしれないし、不安が原因かもしれない。確かに、常に目を光らせておけば犯罪に巻き込まれる危険は減るかもしれないが、それが適切な親子関係とは思えないし、自然な成長を阻害する可能性もあります。

 

 冒頭でふれた「ニュース深読み」に出演していたユージさんというタレントが、子供のLINEでのやりとりは見ないが、グループなどを使ってLINE上で誰と付き合っているのかは教えてもらうと言っており、なるほどと思いました。

 結局、今回の事件でもLINE固有の問題はないでしょう。それゆえ、LINEというツールの問題ではなく、それ以前のコミュニケーションの質の問題です。ここでいうコミュニケーションの質というのは、学校や部活動などを通じて友達と良好な関係を築くこと(それが難しいんじゃないかと反論されそうであるが)や、暴力的な人とは係わらないこと、というほどの意味です。「こいつら危なそうだな」という感覚などのことです。暴力的な人たちの仲間に引き入れられてしまえば、もうLINEがどうのとかスマホがどうとかいう問題を超えています。

 そういう点においては、内容までは聞かないけど、どれくらいの数の友人がいるのか、どのような人たちと仲良くしているのか、ということは把握しておくというユージさんの方針はとてもよい対応でしょう。

 

 LINEという単なるツールの是非論を超えて、少年少女とのコミュニケーションの本質についての議論が活発になってほしいと思います。